宮島と戌亥天中殺

 先日、宮島に行きました。正午頃、宮島へは船で渡りました。その時は厳島神社に海水が漂っているのが船上から見えました。夕方は干潮で大勢の方が鳥居まで楽しそうに歩いていました。遠くから見ると、龍宮城のような風情がありました。潮は朝まで引いていました。日が昇ると次第に海水の道筋が鳥居の下をまっすぐくぐっって、それが二手に分かれ、その先でそれぞれ古鏡の形に収束していました。まるで海の水たちがゆるゆると列を作って参拝して、御座に着かれたようでした。

 

 宿泊したホテルはとてもモダンで気持ちの良いところでした。レストランの水槽に魚や蟹が漂っていました。ホテルの方が釣ってきた先ほどまですぐそばの海で泳いでいたお魚たちでした。このレストランは地産地消をうたっていて、徹底して地元のものが出てきました。お酒もそうですが、採れた場所が近いものは、食事をしていて調和します。東京に暮らしていると様々な場所で採れたものを組み合わせて、バラバラな地域のものを口に入れるのにが当たり前で、新鮮さとその調和をとても贅沢に感じました。そして、どれも生き生きしていて元気をいただきました。しかし、もともと人はこのように自分の周りのもので日々の食卓を賄うのが当たり前だったとも思いました。

 

 宮島は、太古から暗い原生林に覆われて神秘的な様子から自然崇拝の対象になっていました。もともと、人が住む場所ではなく、島自体が神聖視されていたようです。そんな中、平清盛が戦勝祈願に厳島神社を造ったようです。厳島の名前にあるように祀られているのは三人の女神イチキシマヒメ、タキリビメ、タギツヒメです。この宗像三女神は全て水に関する女神です。偶然ですが、カップの3のようだなと思いました。私がウラナイトナカイで毎週ブースを受け持つ打診をまつい先生から受けて、占い師名を決めることになった際、ちょうどタロット練習会に出席していたので、そこで決めてもらうことにしました。その時に3と8のカードばかり出てきました。最終結果はカップの3でした。それで、8はそのまま八で、3が二枚出ていたので3が二つ重なったような江という字にしました。清盛が八で縁起を担いだのか、厳島神社はいたるところに八がありました。回廊の柱間は8尺、1間に8枚の板を敷く。東西を結ぶ回廊の長さは108間。まさに八の入江で、面白いなと思いました。

 

 寺社仏閣というのは、戦に度々利用されてきていて、特に戦時中、神社は国家のマインドコントロールの場として利用されてもいます。私は戌亥天中殺なので神社とか好きですよねと言われたりしますが、歴史を鑑みると神社自体はあまり好きではないとも言えます。私の例で恐縮ですが戌亥天中殺の方は神社自体が好きなのではなく、神社に鏡があるように、何か静かに心を写すものを求めていたり、またアジールとして訪れているのだとも思います。そして、単に造形や風物、歴史を楽しんだりする物見遊山でもあります。

 

 私は天中殺に入りましたが、今の所、特に何事もありません。前回、前々回の天中殺を思い出して見ると色々成長するために努力した時期だったように思います。生涯忘れられないような大事な人に出会ってどん底から助けられたのもこの時期でした。前世で恩のある方に出会う時期とも言われているようですね。私にとってはありがたい天中殺でもありました。そして、前回の天中殺はちょうど新しい会社に入社して間もなかったので、最初は歳が近い女性たちにマウンティングされましたが、結局その人たちは皆さん退社していきました。私は我慢して昇進していきました。普通でいることは勇気がいることだと思います。人は劣等感を隠すため、人より優れている自分を演出しようとしますが、本当に優れている人は殊更に演出しません。退社していった人たちは学歴や資格が自分の方が優れていると私を蔑むようなことを言っていました。私は気にしませんでした。人を蔑む人は自分の弱さを語っているだけですから。ただ、いまこうやって書くまでこのことは忘れていました。嫌なことは忘れてしまうものですね。

 

 宮島に行って気づいたことは、日々の自分の生活が整い、充足していることが一番大切なことだと思いました。土地のものを食べて、夜は心地が良い寝具で静かに眠って、太陽と共に起床しました。体はその時々に必要なものを美味しいと感じます。衣服も体にしっくりしたものを選び、住む場所も日々気持ちよく過ごせることが大切です。原爆投下を受けた土地も今は穏やかでした。海も川も自浄作用を持っています。人間も自分で自分を回復したり浄化する力を持っています。華美や刺激を求めるとそのうちに心は空虚になって行きます。自分の中の自然な状態を感覚に問いかけて、無理も背伸びも悲観もしないで、進むべき道をまっすぐ生きて行けばそれでいいのだと思いました。